商売「天地人」続き。

8/20のブログに『商売極意「天・地・人」…嘘です(笑 』と書いた。
 
「天の巻」は扇子商売。
「地の巻」は 莫大なお金が渦巻いているところでの商売。
「人の巻」はヒミツである。
 
としたが、書き終わって、冗談の途中になぜ天地人と心に浮かんだのか不思議だった。
 
さっき急に思い出したが、二十歳代の前半に商人(あきんど)ものを数冊読んだのを思えていたようだ。
 
「天の巻」とした「扇子商売」、これは煽ぐときだけ開いて終われば閉じる扇子のように、
商売を始める時は閉じる時(見切りをつけてやめる時)を考えてとけということである。
 
当時は、なるほどねー、程度に読んだが、
そのあと日露戦争モノなどを恥ずかしながら司馬遼太郎で読んでみると
戦争準備をしながら、どのあたりで、どのように、誰の仲介でやめるか…
つまり、どこがゴールで終戦地点かか常に考えている。
 
初めて扇子商売という言葉に出会ってから少なくとも20年くらいは折にふれて考えていたようだ。
 
「地の巻」は 大きなマーケットでみんなが欲しがる他にないサービスの提供である。
これは分かりやすいだろう。
チェーンで大きくなったフードサービスのほとんどはこれである。
良く知った食品がホカの店より少しましに提供されれば商売繁盛である。
 
私がモノごころついてから登場した全く新しい国民食は「ピザ」だけである。
舌は強烈に保守的である。
良く知ったもののバリエーションしか受け付けない。
 
 
「人の巻」はヒミツである。としたのは当然に冗談で秘密でも何でもない。
 
適材関所、これに尽きるので、早い話が自分より出来る部下を
(必要に応じて)山のようにこしらえるだけである。
 
商人(あきんど)の知恵として、商家を継ぐのは番頭とめあわせた長女(いとはん)である。
今の店の当主もまたそのように先代から店を継いだ元番頭である。
(総領息子はお遊び担当番頭をつけて飼い殺しである。)
 
今日でも、仕事はプロの技術者、管理はプロのマネージャー。
企画やプロモーションは外部のプロ集団…などいくらでもあるケースだ。
 
経営もまた同じだと書いていたのは有名なカーネギー
「私の誇りは、私より出来る100人の社長をつくったことだ。」と高らかに述べている。
 
まだハタチの子供の頃、このアキンド物を読んで、その後のケースに当てはめて考えてきたようである。
長らく…ながいこと考えてきたので、あれもこれも自分で思いついたと思っていた。
はははははははははははは。
 
 
昨今、ドラッカーを読もうとして、何度も挫折するのも同じである。
どうやら、ドラッカーのお弟子孫弟子が書いたものをたくさん読んできたらしい身として
いまさら、ご本尊をよむと、「だからなに?」としか思えないのである。
 
何も勉強してこなかった子供らが「もしどら」で盛り上がっているのを見て少しうらやましい。
同じように今日ニーチェも読まれているようで、不思議なことに中島義道ニーチェを書いている。
 
「善人ほど 悪い奴はいない」で、題名はいかにも中島義道である。
 
…ああ、蛇足が長くなりそうなので、蛇の足が100本になりそうなのでヤメておこう。
それじゃ、ムカデだってば。