尖閣チャイナ諸島・内田樹「日本辺境論」

尖閣諸島・チャイナについて世間ではどんな反応なのかとタケシのテレビを見てみた
10分ほどで飽きたが、土井たか子が頑張っていたころとは大違いである
 
「チャイナを無用に刺激するな!」
「戦争を詫びて尖閣諸島補助金付けてお渡ししろ!」
「一億総懺悔だ!」
という、共産国の使いっパとして元気だった言論人はどこへ行ったのだ?
 
ネイションステイトとして本邦がどこに居場所を見つけるのか?
そういう話にならないので政治には興味がないのであるが…
 
 
週末には 内田 樹の「日本辺境論」を楽しく読んだ。
正しくは「団塊・辺境論」とでも言うべき内容だが。
 
巻頭で、この本の性格というか使命を
「利益はなくとも誰かがしなければならない、どぶさらいのような仕事である」
「学術的体裁から逸脱していて、文句をつけようと思えばいくらでもあるだろうが…」
「とおりすがりの人から懐手でどぶさらいの手つきがわるいと言われたくいないです」
とあって笑った
 
論の立て方は面白いし、真名・仮名の話や「学び」についてなど楽しい話も多い。
しかし、内田先生の感じている世界はどうも学生の世界のような気がするのである。
 
とおりすがりの懐手の人から 「どぶさらいの手つきがわるい」 と言われるのが人生である。
いわれたなら、手つきよくしてみせるしかないのである。
ウマく出来なければ言い訳も必要である
 
言われたくないですぅー、だけでは大人になれない。
 
チャイナから文句をつけられたくないなあぁー
では外務省の仕事ではないと思うが、どうか。
 
「OK、最後通牒ですか、それでは決裂ですな」
(戦争の開始の意味です)
と言えて初めてネイションステイトの外務省である。
 
それを、たかが外務官僚に言わせてこそ国家である。
これを言える国になりたくて国民を作ったのではないのか?
でなければ我々は、ただのプレ・オキュパイドジャパン在留の日本人である。