W先生のこと

W先生は、近所で一番の名医で、やさしく嘘のない診療でいつも待合室はぎゅうぎゅう詰めだった。

うちの両親はなにかあるとW医院に電話で予約、治療してもらうとすぐに完癒していた。



先生は60歳を少々出た、非常に優秀だけど自分がインチキだと知っている人
二十歳そこそこのオレには、とても淋しい淋しい、卑怯な男に見えた。


高い能力と、低い品性を、何とかうまく整合させてやっと安心できた人
人生に夢も希望もない、何が正しいか、美しいかさえわからない、好きなものなど一つもない、
惨めで、薄情で、自分自身を恨んでいて、なぜか、かろうじて優しさだけが残った、そういう男に見えた。




近所の人がほめそやすのが不思議で、それでも20代結婚して家を出るまで病弱だったオレは
なにかあると、W先生の世話になって、、、 不思議と病気は治らなかった。

待合室で毎日2時間待ってて、治る病気があれば、そちらの方が不思議だ。 (笑)
ハタチのころは、それと分かっても、そう言葉にする知恵がなかった。 (笑)




70歳を過ぎてスグに癌になった親父はW先生の治療で、当然にどうにもならず
先生の手に余ると、W医院のつね、いつものように、近所の適当な公立病院に回されて

3年もしないうちに死んだ。



オヤジがW先生の仕打ちを恨んでいたのは確かだと思う。

その心根が知れてから、二度とW医院に行かなくなったので
まあ、ふつうそうだわなー、なぜ今まで分からなかったのかなーと不思議だったが…

一度も、W先生を悪くは言わなかったので、
ああ、町医者はこういう義理堅い貧乏上がりの小金持に支えられているのだなと知れた。


同時に、そういう貧乏くじを引く人はいるのだな
あれだけ用心深く、誠実に行動しながら誰も信じなかったオヤジでも
人を見誤るのだなと、不思議だった。

が、同時に人はそんなものかと納得した。





W医院のあった通りは徒歩5分の距離だが
駅への道と反対だし、その前を通っても、狭小住宅街を抜けて土手へ至るだけだから
父の晩年以降15年、その界隈を見ることはなかった。



消えていた。
何年か前、久しぶりに前を通ると

昔からなかったみたいに、W医院はなくなっていた。
驚きまわりを見渡したが、、 どんな建物に変わっていたかも、もう覚えてない。




そうか、そんなふうに、みんななくなって、つまらない人間も、そのインチキもきえていくんだなあと

なんだか、すごく納得して、おかしくて、笑った。


W先生のインチキ治療を毎日受けていた善良な患者さんたちももうきっとみんないない。




母親がまだ元気で、点滴の時間、毎日のように同級生・小池さんのオヤジから聞いたシベリア抑留の話、、、
たぶん50年間誰にも言えなかったシベリアを、小池のオヤジは、べつに親しくもないウチのオカンに
ある時期、点滴を受けながら涙ながらに何度も語ったそうだ。

夜業で凍死した戦友が丸太の上で凍てついているので、泣きながら、斧で手足を断ち切って遺体回収した話



インチキ医院とともに、そういう、いまオレが思い出しても、コメントもしようもない 話も、 消えてしまった。





全ては去っていく



時は流れない、それは積み重なる

と、昭和のウイスキーCMは語っていたが、、、



積み重なる時を感じられる人は幸せである。

時は流れて、流れ去って、  きらきらと、その先が地平に消えるのは、川の流れに、かわらない





ふたつならべて流した笹の船は

瞬く間にあいはなれて、波間に消え、かつあらわれて、またもまれ

遠く離れて、波に巻かれて



見よ、

もう、ふたつながらに、 光の中で、 川の流れと、 水面の光と、 きらめくモノどもと、 



見わけがつかない。