遠慮してると、老人から甘く見られてバカにされて悔しいこと。団塊とアプレ。


昨夜、、



かなり酔ってたので
よく憶えたないが


いつものBARで
いつものBARの先生に
いつものようにバカにさる。





昨日のことだが
今日の明け方の夢にみたから

よほど悔しかったんだろうなー、オレ



話柄は
ほぼ忘れた

おもいっきり酔ってたしね。




憲法の話だたかなー

先生の社会デヴューの一つは
憲法学者のソレである



宮澤の学派でしょ。(笑)
と、イジめると一瞬お黙りになるのが、面白い。





宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月6日 - 1976年(昭和51年)9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法東京大学名誉教授。貴族院議員。長野県長野市出身。

来歴[編集]
美濃部達吉の弟子。美濃部の後継として東京帝国大学(のち東京大学)法学部教授を務め、東京大学退官後は末延三次らと共に、立教大学法学部の創設に尽力した。

日本国憲法の制定時に学術面から寄与し、後の憲法学界に多大な影響を残した。

司法試験などの受験界では「宮沢説」[1]は通説とされ、
弟子の芦部信喜以下東大の教授陣に引き継がれている。


学説[編集]
学説は時期とともに変節を繰り返した。

戦前、大日本帝国憲法の講義の際、「憲法第一条から第三条まで、これは伝説です。講義の対象になりません。省きます」として進歩的立場を示していた。




学識で
先生とともに語れるほどの
なにものも
オレはもっていないが


1970年代の法学者にして
オックスブリッジ時代にナイトに叙せられて
修学旅行みたいにハーバード

それをヤメてから
大企業に入って取締役になった



…そういうオーザッパな経歴のオッサンに      (めちゃめちゃなエリートである)
エラそうに言われる筋合いはない。                






あらかじめ説明された世界の話を

オレにするな。





日本人だが、英国史上のキングであるオレは
我が領邦の保全で忙しいのである。





「お前、殺す!」という意識に

団塊の皆様方は乏しいようにも
思うのである。



悪いと言ってるわけではないが

お前らその程度だろ、
後世に もすこし遠慮しろ!


とは、思う。





なぜ「一次情報」を信じる?



世間の泥水に鼻の下まで
浸かってるやつで

稼げる男は見たことがない。





岡目八目と言って
思考とは
身の処し方とは


距離感の別名である。



貴君らにはなかろ?



それでも

なぜ語る?   恥ずかしげなく。







悪い文章になったが

アプレと団塊はバカにしてるが



その世代から受けた恩恵と
こころからの感謝は
忘れたことはないから




…このみっともない文章も、

残しておこう。