村上春樹、オウム死刑反対の苦衷と、国家について雑感。


青春の巨匠・村上春樹氏が

死刑反対の立場から
オウムに対する姿勢を決めかねる苦衷を弁じていて

…気の毒である。



1980…何年だっけ、
ダニエル・ベル のサントリー講演会は締め切りギリギリだったので
中之島サントリービルまで応募はがきを持って行って、、抽選で落ちた。


ダニエル・ベル
代表作 「資本主義の文化的矛盾」 …

内容は知っていたので、、、


つまり、まあ
恥ずかしながら
憧れの ダニエル・ベル (当時60歳ジジイ)の顔が見たかったのだ。



社会の三つの相

文化 :個人的かつ未来志向
経済 :金銭的かつ現状肯定
政治 :伝統的な過去システム保全

はフォーカスする対象と時間がそれぞれに違うので
当然に、齟齬し、社会的矛盾として表出する…

とうい長い長い評論だった。


三巻中2巻までしか読んでなかったが
英語評論はたいてい
最初の2割までに全部出ているのである。 

あとは、長い長い長い長い、、、傍証である。 (笑)


さて、
死刑制度は いちばん遅い 「政治」ですらない。

それは 「行政」システムである。
スピード違反だから免許停止ね!
と、同じ地平線にいるシステム上の法的判断としてなされる
行政処分である。

古い行政の在り方を変えていくのが
遅い遅い、立法機関であるところの
 議会あるいは 「政治」と呼ばれるものである。


今般のオウムは

平成の終わり
新しい時代の始まりに当たって

喜ばしい新時代始まりの恩赦で
旧時代・平成時代を代表する無差別殺人を赦し

新時代に繰延するわけにいかないという判断であろう。




唐突ながら


死刑は廃止するべきではなかろう。




人が人として幸せに生きていくために
全ての国民から国家権力を付託された
日本国の行政体が

…苦しみながらも同じ国民を
国家という共同体の名において殺す決定をして


決定してしまえば
執行機関は
自分たちの都合で
タイミングを見て

…このへんでしょ?的に執行



この身も蓋もない悪徳を
行政という名の元から解き放ってはいけない


私怨とリンチの巷から
国を守るべき、守りえる唯一の存在は


    リバイアサン = 国家


 であるはずである。



我々は、つねに

選別された
聖別された
呪いを必用としている


いま最強の呪いの一つが 「国家」 である。

  人も殺せない呪いが 

  「呪い」であるわけがない





村上春樹氏、オウム13人死刑執行に「『反対です』とは公言できない」

2018/07/29 21:27 
 

【AFP=時事】  オウム真理教(Aum Shinrikyo)の元幹部ら13人の死刑が今月執行されたことを受け、作家の村上春樹(Haruki Murakami)氏が29日付の毎日新聞(Mainichi Shimbun)に寄稿し、自身は死刑制度に反対の立場だとしながらも、今回の執行には反対だと公言できないとの考えを示した。

 村上氏は自身について一般的には「死刑制度そのものに反対する立場」だとした上で、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューをまとめた「アンダーグラウンド(Underground)」(1995年)を執筆する過程において事件の被害者や遺族の苦しみに触れた体験から、「『私は死刑制度に反対です』とは、少なくともこの件に関しては、簡単に公言できないでいる」としている。

 その一方、村上氏は死刑執行によりオウム関連の事件が終わるわけではないと指摘し、今回の執行に「事件の幕引きにしよう」という意図や「死刑という制度をより恒常的なものにしよう」という思惑があったとすれば、「そのような戦略の存在は決して許されるべきではない」と断じている。


【翻訳編集】AFPBB News