「街場の文体論」 「もののけ姫」
昨日のご 「苦労様」 考
なんで書いたのかわからなかったが、、これだ!
「街場の文体論」 内田樹
夕方の電車で読んで読んでいて
無意識に想いだしていたのである。
(笑)
もう全部忘れていたのになー
そのあとに読む部分の話題を
「ご苦労」 に託して書いていたのである。
そういうアタマの働きも、
「アナグラム」 の項 の内容として読んでいるのである。
同じ枠組みに話として
「オレは絵は判るから!」
に言及したりしたんだよなー わはは1
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エクリチュールか エ「リ」クチュール? かは
すぐに忘れるのだが
ラング:母語 と ステイル:語感 の間にある
社会言語としてのエクリチュールが
その人そのものを
規定する
というのは
すごくよく分かる。
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今日ひさしぶりに行った 立ち飲みで
テレビの話を常連客に振られて困る
NHKの特別番組とか
「ブラタモリ」 (オレもさすがに、名前と内容は知っている)
…について、面白さを力説されても
この30何年まともにテレビを観ていないオレの
テレビ・リテラシーでは、、、鑑賞できないのである。
たとえば
幕の内弁当の揚げ物のところをトリミングして見せて
「幕の内は、実は揚げ物なんです!」
「…!!」 「 あー、なるほど!!」 「気も付かなかった!!」
という
ゴッコ
をするのが
メディアというものであるので
そういう 「没入感」がなければ
楽しめないのである。
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以前書いた、
ウチの婆さんのドラマ・コメント
「役者がようけお金もろて、芝居で泣いとるかと思たら見る気がせん。」
も、同じである。
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テレビは
テレビを観る 社会的「クラス」
の人間のものであって
モーツァルトなどの
すぐバイオリンがヒステリを起こす
クラッシックを鑑賞できる人間を
あの、
バイオリン・ヒステリ音が
選ぶのと同じである。
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「街場の文体論」
内田樹最終講義録にしては
「街場」シリーズにしては
変な電波がきてないので、いい本である。
赤い団塊ボケ老人・内田氏も
二十歳のころから必死で取り組んできた
フランスの現代思想について語れば
非常に分かりやすく、美しい。
世代は違うが
同じ赤いボケ老人 宮崎駿が
自分の好きなものを
アニメで動かせれば
偉大なアルチザンであるのと同じだなー
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今週、久しぶりに
「紅の豚」 を観なおして
フィオのスタンスについて
「ちゃんとチャート出来るじゃないか!」
と、時系列で整理しようとしている自分の不毛に気づいて
昨夜、紀伊国屋で
「もののけ姫」 を買ってきた。
宮崎駿、いいなー
あの、グダグダ感がすでに兆していて
美しくも悲しい
最初に観たときは
ラストで
「その女、ヒロインをなぜ殺さん! 殺せー!」
と思わず金曜ロードショウ画面に叫んだ。 (笑)
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岡田斗司夫氏が
ナウシカ = サン
ユパ = ジコ坊
アスベル = アシタカ
と、言っていて、
youtube はあなどりがたいと思いましたね。
なんか、話が散らかり放題だな
そんなに飲んでないんのになー
いつもこんなで、すいません。
眠いので終わります。
ぐだぐだだー 人のこと言えないー …
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