「街場の文体論」 「もののけ姫」


  昨日のご 「苦労様」 考

なんで書いたのかわからなかったが、、これだ!



   「街場の文体論」   内田樹


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77ページからの ソシュールの アナグラムの話を
夕方の電車で読んで読んでいて


その後につづく 後世ロラン・バルトの  エクリチュール
無意識に想いだしていたのである。


     (笑)


もう全部忘れていたのになー



そのあとに読む部分の話題を
「ご苦労」 に託して書いていたのである。


そういうアタマの働きも、
アナグラム」 の項 の内容として読んでいるのである。




同じ枠組みに話として 

「オレは絵は判るから!」

に言及したりしたんだよなー     わはは1





エクリチュールか エ「リ」クチュール? かは
すぐに忘れるのだが

ラング:母語 と ステイル:語感 の間にある


社会言語としてのエクリチュール

その人そのものを
規定する


というのは
すごくよく分かる。




今日ひさしぶりに行った 立ち飲みで
テレビの話を常連客に振られて困る



NHKの特別番組とか
ブラタモリ」 (オレもさすがに、名前と内容は知っている)

…について、面白さを力説されても


この30何年まともにテレビを観ていないオレの
テレビ・リテラシーでは、、、鑑賞できないのである。




たとえば

幕の内弁当の揚げ物のところをトリミングして見せて
「幕の内は、実は揚げ物なんです!」 
 「…!!」 「 あー、なるほど!!」 「気も付かなかった!!」


という

 ゴッコ

をするのが
メディアというものであるので


そういう 「没入感」がなければ
楽しめないのである。





以前書いた、
ウチの婆さんのドラマ・コメント

「役者がようけお金もろて、芝居で泣いとるかと思たら見る気がせん。」


も、同じである。





テレビは
テレビを観る 社会的「クラス」
の人間のものであって


すぐバイオリンがヒステリを起こす
クラッシックを鑑賞できる人間を


あの、
バイオリン・ヒステリ音が
選ぶのと同じである。






 「街場の文体論」

内田樹最終講義録にしては

「街場」シリーズにしては


変な電波がきてないので、いい本である。




赤い団塊ボケ老人・内田氏も

二十歳のころから必死で取り組んできた
フランスの現代思想について語れば
非常に分かりやすく、美しい。




世代は違うが
同じ赤いボケ老人 宮崎駿

自分の好きなものを
アニメで動かせれば
偉大なアルチザンであるのと同じだなー






今週、久しぶりに

紅の豚」 を観なおして


フィオのスタンスについて
「ちゃんとチャート出来るじゃないか!」

と、時系列で整理しようとしている自分の不毛に気づいて

昨夜、紀伊国屋で 



もののけ姫」 を買ってきた。




   宮崎駿、いいなー



 「千と千尋」  「ハウル」  「ポニョ」  で爆発する

 あの、グダグダ感がすでに兆していて

 美しくも悲しい




最初に観たときは
ラストで


 「その女、ヒロインをなぜ殺さん! 殺せー!」


と思わず金曜ロードショウ画面に叫んだ。 (笑)








ナウシカ = サン


ユパ = ジコ坊

アスベル = アシタカ



もののけは、ナウシカ② なのでナウシカ続編は作りません。」

と、言っていて、
youtube はあなどりがたいと思いましたね。





なんか、話が散らかり放題だな


そんなに飲んでないんのになー




いつもこんなで、すいません。

眠いので終わります。



ぐだぐだだー  人のこと言えないー     …