「紅の豚」 戦闘艇の話だが、暴力が排除されていること。


この夏

8月に 「もののけ姫」を買ったが

…2週間で飽きた。



山犬とその姫・サン

そして猩々やイノシシ乙事主の掛け合い

そして


山犬のモロと主人公アシタカの話など

労組の単組どうしの

せめぎあいに見えてなんとなくハナしらむ思いである。




そとの世界では景気はいいんだけど

組合の組織率は落ちて


時代に置いてきぼりにされそうな感じ…



昼と夜とで姿を変える シシガミ・ダイダラボッチ

コミンテルンの寓意なのだろうか?



シシだから鹿、、、政府紙幣・グリンバックだろうし

命を与えもすれば奪いもするのだから
非・政府、中央銀行のことでもあるのだろう。


政治的過ぎて、疲れる。




それに比べると 「紅の豚」 は

単純にオッサン話で、いい作品である。


お盆明けから、「もののけ姫」の疲れを
書庫から探し出してきた 「豚」のブルーレイで癒している。


文春ジブリ文庫の「ジブリの教科書 『紅の豚』」 を買ってきて読み終えたが

最後の大塚英志の評論が良かった。


ホテル・アドリアーノを中心とした
ポルコ、ジーナ、空賊の世界を
モラトリアム、、「ゴッコ」の世界としてとらえているのは秀逸。


ではそのモラトリアムを担保するのはナニか?

そこから始めてオレは 「豚」を観ている。




暴力とはなにか?

大抵の人は、印象だけで分かったつもりになっている。


暴力とはあらがえない巨大な力で
必ずしもフィジカルに発現するわけではない。





ずいぶん前

世界を統べるのは暴力です。
女性は暴力に従順。 (笑)
と、言ったとき


「どういう意味ですか!!?」と
妙齢の 美人に睨まれたので




例えばね …






パートの帰り
重いスーパーの袋を両手にぶら下げて
ヨレヨレと歩いている夕方


後ろからパカランパカランと走って来た
白馬の王子に、ふわりと片手で 羽根のように抱え上げられて

ダン!


と、ひとっ飛びに
白馬は下河原生協の駐輪場を飛び越え
微笑む王子の、きらりと光る真っ白な歯


抱きすくめられて振り仰いだ真っ青に高い空に
刷毛ではいたようなひとむらの雲


 …



後ろにせまる蹄の音に振り向けば

王子の白馬の左後ろに雁行する
従士・ランスロットの黒馬


静かに敬意をこめて私に黙礼するランスロット



みわたせば下河原商店街は消えて
緑なすスコットランドの平原は
清冽な風に草をなびかせ


彼方に見えるエジンバラの王宮へ
なだらかな稜線を描いてつづく…



…しっかり握っていた買い物袋は
特売の卵パックはどこへいったのかしら


王子にすがりついた手は
いつの間に
皺も血管もバンドエイドも消えて

… 17歳にもどったの?



3800円の通勤着はいつの間にか絹のドレスに
その胸元を持ち上げる固く白い乳房




金髪をなびかせて王子に連れ去られる私はもう
下河原静代 42歳じゃないのね



お城についてからの皇太妃戴冠式
宮廷に渦巻く権力闘争と陰謀


私の美貌によこしまな思いを抱く権力者たち



でもそんなものに負けずに
毅然と美しくいなければダメ



だってそれが
選ばれたムスメ


美しいプリンセスの定めだもの…






という

圧倒的なベクトルで
ヒトの人生をかっさらっていくモノを

暴力と呼びます。


抵抗できないというか
お好きでしょ

大抵の女性は。


…というイジワルで応えた。


「…たしかに。」

とお応えになりました。






そういう暴力が

1929年の 「紅の豚」の世界に
目前に迫っているハズなのだが

36歳の 豚とジーナに残された時間は少ないのだが…



そういう
全てをさらって行く

「暴力」が

きれいに捨象されていて



宮崎駿のスタンスが

見える気がする。




興味ない人も多いだろうけど
紅の豚」 の記事

つづける 予定です。