東大入学式祝辞 上野千鶴子

闇に生まれ闇に死す

少年忍者サスケのような
 … フェミニズムである




1970年代
弱って来たアメリカのブームの 「キワモノ」
として生まれ


生まれてスグ

 「ゲテモノ」 として笑われ



そして今

再度、差別探しの 「キワモノ」

…として


老残に鞭打って登場の

  フェニミズムである。




上野氏は

全部わかってやってると思う。



   安い悪役でいいんです。     涙でそうだ  …





 日本でたった一人だぜ

   人口の半分の同性

 女どもからバカ扱いされて40年



   まだ、戦ってらしゃるんですよ




  1970年の   輝かしい 女たちのために !






     東大祝辞・上野千鶴子インタビュー   「当たり前のことを言っただけ」

AERA

4/22(月) 13:15配信
 

 上野千鶴子さんが東京大学の入学式で述べた祝辞は、お祝い一辺倒ではなかった。 論議を呼んだ表現に、フェミニズムの旗手が込めた思いを聞いた。

 *  *  *

  依頼は昨年末でした。青天の霹靂でしたから、断ろうかと迷いました。イギリスかぶれの角帽ガウンのコスプレも嫌でしたし(笑)。東大の女子学生比率が2割の壁を越えないことがずっと懸案なのは承知していました。女子の4年制大学進学率が48%になり、どの大学も女子学生比率が上昇するなかで、東大だけが増えないのは異常な事態です。なぜ今年度、上野を選んだのか。昨年からの#MeTooムーブメントと、東京医大の不正入試が相次いだタイミングもあったと思います。内部で上野の指名に尽力してくださった方々もおられると聞き、私に与えられた役割を果たそうと考えて、お受けしました。  

予測できないわけです。もし発言内容に介入したら、私はその経緯をメディアに明らかにするかもしれませんしね(笑)。原稿は事前に総長以下執行部の方が目を通しておられますが、数字の訂正以外、内容への介入は一切ありませんでした。私に期待と信頼を寄せてくださったことに、感謝しています。

──ワイドショーなどで取り上げられ、ネット上では「全然祝辞じゃない」「腹が立つ」「吐き気がする」といった反応も。  
  いつでもどこでも言っている当たり前のことを言っただけで、データも誰でも手に入るものばかりです。反応があるのは想定していましたが、賛否ともその大きさは想定以上でした。  

  性差別を話題にすると、脊髄反射的に拒否感、嫌悪感を抱く男性がいますが、その点では若者もおっさんも変わらない。18歳男子にもちゃんと男権意識は再生産されているんですね。江原由美子さんの研究に、性差別意識が共学校の男・女、別学校の男・女で誰が一番強いかというと別学男子だったというデータがあります。目の前に生身の女子がいない環境で、両親を見て育つ。父親の顔色をうかがう母親を見て育つのでしょう。  

  優等生って、ものすごく不安感の強い人たちなんです。承認欲求も強いから、ほめてもらいたい。私の言葉で不安の根っこを脅かされたから、過剰反応するんでしょう。本当は、反射的な脊髄反応を「待てよ」と押しとどめるのが知性ってもんだけど、それが無いんでしょ(笑)。

──反発した人たちはどこに「不安」を感じたのでしょうか。  
  私は「勝者の不安、敗者の不満」と言っています。勝者って勝ち続けなければならないんです。成績で一番取って、親から「よかったね。頑張ったね」と褒められた直後、「次もね」と言われる。でも、次も一番を取れる保証はないんですよね。

  強者側にいる人たちは、男女平等を言うフェミニズムに対して「弱者であるお前たちが、俺らと同じ強者になりたいのか」と、自分たちの地位を脅かされる不安を感じるんですね。でもそれは完全に誤解です。例えば、妊婦、障害者、子ども、お年寄り。強者になれない人はいっぱいいるでしょ。その人たちに「強者になれ」って言わないでしょ? それに強者だっていつか年をとれば弱者になる。そこまで言ってやらないとわからない。

  フェミニズムに対するもう一つの誤解は、「俺らと同じになりたいわけ? じゃあ女捨ててかかってこいよ」っていうもの。若い女たちも「フェミって男と同じようにふるまいたい女のこと? ばかなおネエさんたち」って思ってきた。おっさんメディアが自分の間尺に合わせてフェミニズムを理解し、間違ったイメージを流通させてしまった。人は自分の器に合わせてしか、相手を理解しないものです。

  私は「強者・弱者」を「差別者・被差別者」と置き換えると分かりやすいと思っています。「フェミニズムは、被差別者が差別者になろうとする思想ではありません」って。差別そのものをなくしたいだけ。そういえば、わかりやすく理解してもらえるんじゃないかな。でも、その差別から利益を得ている人たちもいますからね。
──努力を否定するのか、という批判もみられました。  

  がんばりだけでなく、「がんばれば報われる」と思える、そのメンタリティーそのものが環境の産物であることを忘れないでと伝えました。その裏側にあるのが「どうせ、しょせん、女の子だし」と水をかけ足を引っ張る“意欲の冷却効果”です。そうやって気持ちをくじかれる。足を引っ張られて本当はやりたいことを選択できなかったとしても、ネオリベラリズムのもとで「自己決定・自己責任」の原則は深く浸透しましたから、「結局お前が選ばなかったんだろう」と言われる。東大女子が2割以下なのも「応募者が増えないから仕方がない」と。「自己決定・自己責任」がここ数十年のうちに強く内面化され身体化された結果、自分を責めるほかなく自傷系の学生が増えたという体感があります。


──意欲の冷却効果の逆の例として、マララさんを挙げられた。
 「娘の翼を折らないようにしてきた」……彼女のお父さんの素晴らしい発言です。だから、ああいう恐れを知らず、脅しにもひるまない娘ができたのよ。ほとんどの娘たちは翼を折られてきたということの裏返しですね。
──「女子は子どものときから『かわいい』ことを期待され」て、「相手を絶対におびやかさない」よう、いい成績を隠そうとすると指摘されました。

  上智大卒の女性の友人が面白いことを言っていました。英オックスフォード大にいたとき、留学してきた東大卒男子が周りの女子学生を見て「女の人にもこんなに頭のいい人がいるんですねえ」と心底驚嘆したのを見て、「あなたの周囲にいた東大女子たちが、バカなふりをしてきたことに気がつかなかっただけだろう」って思ったって。

  女性がかわいいふりをするのは、「男社会の二流のポジションに一生甘んじます」って宣言するのと同じ。「あなたのライバルに決してなりません」と。

  このやり方は、男性が権力を握る社会が未来永劫変わらないことを前提にしています。男性を見上げて、褒めそやして、おこぼれをもらう。男の自尊心のお守り役、と私は呼んでいます。それが「賢い女」の伝統芸能なのよ。男性優位の社会ではそれが女の生存戦略でしたが、それを個人個人がやっている限り、決して社会は変わらない。個人としての最適解は、困った構造の再生産につながることもあります。セクハラも賃金差別も、個人的な経験が社会構造につながっている。「個人的なことは政治的である」とフェミニズムの考え方を何度でもくりかえし言わなければならない。18歳の学生には、そこがまだわからない。だから大学で女性学をやるのよ。学問は大事です。

  今回の反応でもわかるように、男権社会のメンタリティーは18歳男子の間にも再生産されています。でも、東京医大の不正入試を世論は許さないし、#MeToo運動で政府の高官は辞職するし、上野が東大入学式の来賓祝辞に呼ばれた。数十年前には考えられなかったことです。変化は確実に起きています。
──新入生に行動を起こしてほしいというメッセージでもあったのか。
 「私を突き動かしてきたのは社会の不公正に対する怒り」だと言いました。不公正があったらあなたたちも怒っていい、怒るべきだというメッセージですね。

──知を生み出す知「メタ知識」を身につけてほしいと祝辞を締めくくりました。
  文系理系問わず全ての研究者にとって、これは普遍的なメッセージだと思います。総長も教養学部長も同じ趣旨のことをおっしゃいました。正解が出てしまったことをやっても研究の意味はありませんから。そう考えれば、正解が一つしかないような問いを出して選抜試験をやるということ自体が矛盾ですよね。東大生に世界に通用する人になってほしい。エリートになっても、難民になっても、世界のどこかでちゃんと生きていける人になってほしいと思います。

 (聞き手・白山羊)

AERA 4月29日─5月6日号