生まれること。

長女がながらくバカだったので、心配した。
 
小学生の時、4年生の時点で
「2歳下の2年生クラスに入れればこの子はかしこい!」
と分かったので、以後あまり心配はしなくなった。
 
1-2割の発育遅滞なら大人になれば同じである。
 
ただ、その時までにしなければ追いつかないものもあるので、
どうしたものかね?とは思っていたが、しかたない、としか言いようがない。
 
母親にはよく叱られていたが
本人のイメージが成長しなければしかたない。
 
女房がどの程度のバカ女かは知っているので逆らわない。
私「この子の神経の髄鞘化が進まないと無理。高校の「生物Ⅰ」で習っただろ」
女房「そんなことは、知りません!」
という話の繰り返しである。
 
知恵が遅いと人間関係も大変だし
自己イメージも成長しにくいからどこかで桟(さん)を入れておこうと思っていた。
 
トロい娘もさすがにハタチになると少しは世間並のことを言うようになったので
誕生日に桟打ちをしておくことにした。
つまり、送る言葉である
 
今日はお誕生日よーとアピールしている娘の名前を呼んで
「○○(娘の名前です)、ウチの家に生まれてきてくれて、ありがとう。
おとうさんは、お前が生まれてきてくれて、すごく幸せ。」
「○○、本当に生まれてきてくれてありがとうね。」
 
とだけ言っておいた。
 
驚いて、ひた!とこちらを見て
声も立てず、静かに滂沱の涙を流したから
言っている意味は分かったと思う。
 
お前は、ここにいてもいいのだ。
自分で自分を認めろ。
 
お父さんは、お前を認めているぞ。