校歌のはなし。

歌の話で思い出したので書いておく。
 
小中高と校歌を歌った。
それこそ運動会の練習シーズンなど毎週のように歌ったが
恥ずかしながら、あまり覚えていない
 
憶えていないなかで
小学校校歌では「光は躍る 輪になって」という歌詞が好きだった
全体に進歩と調和と明るい未来みたいな歌詞だったのは昭和30年代半ば創立の時代性だろう
 
 
高校は新設校の第一期生だった
1年生の夏休み前に校歌の歌詞の公募があった。もちろん強制である。
なにも思いつかないので「見よ東海の空明けて~」と古い歌の替え歌で出した。
末尾は「教師の鉄拳なにものぞ!」で結んだ。バカだったのである。当時から(笑)
 
最終選考で3作に絞られて(もちろん私のは没である)アンケートとなった。
選ばれたのは50代の国語の先生の作品であった。
文語調で一行に2個づつ読めない熟語があったが、子供ながら我々にもそのありがたみは分かった。
 
式典の度にたいした歌詞だと思いながら歌った。
第三番の終り近くに 「行け 凌雲の高さもて」 という言葉があって好きだった
天空を駆けるイメージが好きと言うより、雲を超えて高みを目指せというメッセージに打たれた
きっとその頃は誰かに励ましてもらいたかったんだろうなあ
 
 
後年、同窓会の仕事をするようになって何度か学校へ足を運んだ
学校統合と新統合校との調整である。
実質廃校である!ってコトで紛糾している。
気も使うが言うべきことは言わねばならない。
 
県の教育委員会にも何度も足を運んだ。
言を左右にのらくら言うのでデータを示して論駁。上程書もいくつか書いた。
活動方針としては、同窓会としての同窓生代表の立場を堅持した。
(一部政党と連携しての統合廃止の運動もあったのである)
 
教育委員会の高校課長と数回はなして、一定の条件で手を打った。
行政訴訟の日程も組めなかったのである。
 
 
母校最終の記念誌を作る、最後の卒業式と、同窓会総会もやらねばならない。
キチンと進めれば、日程どうりに進む。
 
母校の先生と話しながらこの人たち学生だなあと思った。
式典関係のできる出来ないの話で50代の担当教師が
「これが現場の実情ですよ!」というので
「先生、社会に出てそれを仰ったら仕事貰えなくなりますよ。」と笑うと
悲しそうな恥ずかしそうな笑顔でうつむいた。
 
かわいそうとも思ったが…先生方もわれわれ中年社会人と話す機会もそうはなかろう。
貴君ら教員は仕事だろうが、こっちは顎足自分持ちのご奉仕だ。
先生方も多少は勉強になったのではないかな?
 
そんななか、ある日、デザイン決定した機関誌原稿の校歌ページを助手席に置いてドライブ。
一人運転である、目的地までの途中、けっこう覚えているもんだなと校歌をうたう
第三番の終り近く 「行け 凌雲の高さもて」 と歌って涙が止まらなくなる。
 
はるけき高みをめざせと  励まされていたのだなあ
 
  自分はどれだけできたのだろう
 
母校廃高の感傷でもなく、人生の後悔でもなく、
過ぎ去ったものとも、永劫の空に浮かぶものとも知れず
 
非常になにか気高いものが、自分のそばを通り過ぎたのに、改めて気付いたようにも思う。
 
なにか ほかにかえがたい かそけきものが 
とっくのむかしに なくなっているのに 気づいたのかもしれない。