胡蝶の夢

二十歳くらいのとき友達と胡蝶の夢の話をした。
 
友 「胡蝶の夢とゆうてな、蝶々になってひらひら飛んで花を巡る夢から覚めたらな(笑)」
私 「どっちの自分がホンマの自分かわからんようになったワケやな(笑)」
友 「はははは、貴君はいまの自分がホンマの自分やといえるかね?」
私 「毎週、少年ジャンプが出て、鳥山明が描いておるほうの世界が現実でええやん?」
 
でこの談義は勝った。
 
現実を担保しているのは他者とのかかわりである。
他者とは必ずしも他人のことではない。
 
鈴木大拙が2項対比的な西洋の思考を
「2項を判定する第三者を前提している」と批判していたが
それは違うだろう。
 
甲乙と分ければそれを分けた誰かが必要だ。
しかし、自他、我と我ならざるもので始めればいいのではないか?
 
 
MJJSSさんの上記のブログを読んでいてそんなことを考えたことを思い出した。
 
 
胡蝶の夢だけではなく荘子からは多くを学んだ気もするが(笑)
憶えていない(笑)