福島原発 ①
いくつか疑問に思ったことなど書いておく
書庫が「冗冗談談」なのが気が引けるが…お許し願いたい
4/4-6 には、4/7-8に九州沖縄韓国を含めた西日本一円を飛散した放射性物質がおおうように見た。
4/7になると、一転、黄色いセシウムだったっけの雲は太平洋上に一直線に伸びて西日本にはかからない。
原発に関してはすでに米国の管理下にあると考えている。
このシミュレーションに関して情報操作があるように感じたが、どうか?
・米国の援助団が プロジェクト「tomodachi」 なのが怖い。
フレンドの名前の下に何を隠しているのか?
米国は友達のために何かしてくれる国ではない。
・同国のガソリンの無償供与が100万リットル?
わずか1億数千万円、それもガソリン券として供与?
自国の貧民救済と混同している気がする。
貰ってからにしようと、逃げ出せない人がたくさんいたそうである。
…米国は東北の県民を自国民と同じに考えているような気がする。
・神戸が震災でお客様状態になったのとちがい、東北の罹災者は立派だと聞いた。
避難所で遊んでいないで、復旧に取り組んでいるとのこと。
関西の人間として、同じ日本人にカウントして頂いて申し訳ない気がする。
・月刊誌「WILL」で日下公人氏の記事が目を引いた。
内容の当否については、判断しかねる。
は地元対策としてあれを作れ、これもくれと東電にたかっていた、云々と読んだ。
ネットで調べると。佐藤氏は原発容認派であったようだが、
国のごり押しと事故が起これば東電のセイという当局の無責任ぶりに立ち向かったようだ。
原子力発電についての地元の主体性を確保しに行ったということだろう。
地元で好きにやられてたまるかということなのだろうが、、、NET記事を読んでもよく分からない。
地方分権派で国から見れば扱いにくい知事かった様子である。
国と知事と、、、たぬきとキツネという感じであはある。
・福島原発は1970-80年代の運転開始である。
県から東電への原発誘致は1960年である。
20-40年以上前に運転を開始した、30-50年前の事業計画の責任云々をどこに帰するか。
行政体質自体の問題のように思う。
「原爆が落ちて陛下のご聖断がなければ戦争は終わらせられない。戦争を終わらせる仕組みがないから。」
と読んで、はっとした。
そういえば明治政府の官僚機構は
伊藤博文や山形有朋といった元勲サイズに作られていて
選挙で当否がきまるような政治家が扱える規格になっていないのである。
いまその組織が破壊されずにの残って、行政しているのである。
一度決まった計画は、誰のせいでもなく誰も責任を感じずに
どんどん進んで行って、そのまま2次3次と拡張していくのである。
行政にコスト意識はないのだから、ストップは利かない。