大負けすることについて  自己イメージとの齟齬?

さーて昨日のつづきの脳機能の本も読もう。
俗流心理学の本も読み返そう。
 
 
リアルでいま業務が立て込んでいるが、脳学・心理学系の本を読むと
トンズラした創業社長の気持ちが分かる気がする。
 
私のマネジメントを受けて売上が上がると、かなり辛かっただろう。
 
自己保全のために、学ぶ事を拒否していたので困ったが、同じ心が大負けするときの自分にあると思う。
相場が何かの代償行為になっていることを自覚し、行動レベルで規制出来れば大負けはなくなるだろう。
 
 
去年の7月1000万円負けの時
「あんたもツイてないな」だったっけのイジワル・コメントが来てハッとした。
自分が、「ツイてる」、「ツイてない」、は考えたこともなかったのである。
 
強いて言えば、一生ツイてないと思っている。
 
二十歳のころ、何人かの八卦観に
「賭けごとダメよ、勝負運ゼロよ、ジャンケンすら勝てない。やるなら相場、よく考えて。」と言われた。
そう言えば、畏友・山ちゃんは高校の時、私にジャンケンで勝って「生まれて初めて勝ったー」と喜んでいたなあー
 
結婚式やレセプションの 100-500人ジャンケンで景品がかかってるとたいてい優勝するのはなんなんだろう。
100人で10回やれば6-7回はベスト3に入るようである。
…勝つというより、相手がナニを出すか分るので、それを叩くだけである。
もう分っている拳を叩くだけなので、「勝負運」の範疇ではないのだろうなあー
 
話がそれた。
 
自分が相場で何をしているのか?
そのイメージと、判断バイアスについて考えたい。
自己イメージとの齟齬 …なのだろうと思う。
 
さて、30分で残務を済ませて、早めに取り掛かろう。
 
打ちあわせまで、まだ3時間ほど時間がある。