女子柔道、暴力・パワハラ に違和感。

高校体育だと「体罰」だったが、「暴力・パワハラ」に呼び方が変わるのだろうか。
 
 
殴られて強くなってオリンピックに出て出世した監督が、選手を殴ってオリンピックに連れて行った… というコトで
運動部というのは概ねそういうものではなかったかと思う。
 
殴られても平気な連中が集まって代々なぐり殴られながら 彼らの社会を築い来てているのに
今回、日常的に暴力が行使されていることを誰でも知っている柔道界にこういう仕掛けをした人間がいるのである。
「貴君らはちゃんと声を上げなければダメだよ」と選手をそそのかせた連中が、、、まあいる訳で
もちろん、綱紀粛正の委員会に天下りを送りたいお役所連合であろう。
 
私は、そういう連中を憎む。
小学生から柔道漬のいい年をした子供たちに「正義」吹き込んだ大人を生かしておきがたいと思う。
 
警察では犯人制圧のために日々格闘技の訓練をしている。
「暴力禁止キャンペーン」は拳銃しか持っていない警察の市民制圧力を担保するため
殴り合いですら国家管理に置いておきたい官僚の陰謀である。
 
暴力は意識的に正しくふるわれるべきで、それが世間的なコンセンサスだろう。
 
例えば「黄門様」とか「桜吹雪」が、話し合いと懇ろなご挨拶で談笑裡に事件が解決するドラマだったら
何十年もつづかないのではないかと思う。
みんな正しい暴力の出番と、圧倒的な権威「葵の御紋章」が出るのを待っているのである。
 
 
じゃあお前は日常的に暴力をふるわれて平気かと訊かれれば「平気じゃない」と応えるしかない。
世の中には殴られる人間とそうでない人間がいて、殴られる人間を殴られない人間の法で裁くのは欺瞞である。
 
つまり人権派が言う
「彼は確かに自分の欲望のために女性を辱めて殺しました。でもそれが、国家の死刑という殺人を許す根拠となるでしょうか?」というのと同じで、殺されないヤツの理論で、殺されるべき人を裁いてはいけないのと同じである。
 
人権派が死刑に反対なのは、いずれ自分が内乱罪で捕まったときを思うと心配だからにすぎない。