久しぶりに山本夏彦を読む「最後の波の音」

山本夏彦 1915年-2002年  長らく雑誌「室内」編集人兼発行人であった。
そうかなくなってもう12年か。
 
 
 
痛烈と言うのは自分のことを棚に上げて他を罵ることでそれだけはしまいと禁じている。
故に私は高位高官の贈収賄に憤慨しない。
自分がその席に坐ったら必ずや取るだろう賄賂を、その席に坐れなかったばかりにとがめて、居丈高になってつかの間の正義漢になることを欲しいない。
 
人はみな同い年だとみている。歳月は勝手に来て勝手に去る。女は永遠に十七である。
私は六十あまりのとき二十三の娘と恋の如きものをしたことがある。
互いに年齢なんか感じなかった。
ただ寿司屋のつけ台の前に座して隣席の三十代の勤人ににらまれたことがある。
あまりしつこくにらむので「ははあ」と気がついた。
その娘に似つかわしいのは自分であると瞋恚(しんい)の炎(ほむら)が目に出ていた。
 
エセイ後半、大意。  平成十三年「文藝春秋」
題して「人はみな同い年」。
文書前半には「私は少年のときこの世は生きるに値しないと落雷に打たれるように知って」とある。
 
 
時に切なく、また常に己の不甲斐なさを思うとき、山本夏彦が自分の師匠であったことを思い出すのである。
らしい。
 
そう言えば、山本夏彦には「弟子はみな不肖である」という言葉もあった。(笑)