マーケティング  自分のことを好きか?

会社をほうりだして辞めやがったトンズラ社長。

債務もかたずけて、マーケも教えて、ぐちゃぐちゃになってるマネージメントも筋道を通してマニュアルまでちゃんと渡して、やらせてみて成果を上げさせて、その後また事故った分もメールでまるで本人がやったように捌かせてやったのに、

結局「軍艦さんにはついて行けないですぅー」とへこたれて辞めたトンズラ社長のことを時々思い出す。



能力なかったか?  いいえ!お思いっきりありました。
すごい才能。 天才でカリスマー! というのを初めて見た思いだった。

人間が悪かったのか? とんでもない! まあ普通に見ないほど善人でしたね。



そのトンズラ社長がよく言ってたのが 「軍艦さん、自分のこと好きですか? 僕は大好きなんですよー!!」

…嘘です。

そういう設問を立てる時で点で、、  嘘です。



必死に生きていて、「自分のコト大好きー」 になれるわけがない。
ああやればよかった、こうするべきだったのに!なにやってんだ、オレ!!

…の繰り返しです。

しかし、ダイレクトにそう訊かれたので
「別に好きじゃないけど、必ず自分の味方をするようにはしてるよ。」 と応えました。


人生は、思うに任せないというか、任せられない自分との折り合いのフィールドです。
まずは、出来ることをして、その責めをはたなさければ、、、  これが分かるまで何年かかったか、、、、


好きか?嫌いか? そんなことを自問してかいがあるわけありません。
忸怩たる思いを、どのように周りの人間の幸せに転化させていけるか?
そういう、錬金術を夢見て、重い荷物を背負って長い道を歩いていくところから始めなければなりません。


さくらさんと、あいり~んさんのコメントを読んで、その話を書こうと思ったんだけど、、、違う話になったようです。



オウム真理教の幹部。 医者とか、、あれだけの社会的地位を得た人がナゼ? と言われますが
情報処理能力が一定以上なら社会的に上層階中に入っていけます。 医者?弁護士? まあそんな感じの。
そして、それで幸せになれるか・ それはまた、全く別の話です…  

まあ、つまるところ、それだけの話だろ?

何のために生きてるのか? オレの幸せってどこ?  これに思い至れば、幸せは遥かに遠くなってしまいます。


自分のためだけに必死になって頑張れる人はすくないと思います。
誰かのためと思えなければ、価値自体があやふやになるのが一般でしょう。


集団で生きてる生物はそのように設計されてるよなー  
だれかを幸せに出来たと思わなければ、自分の幸せなどない。

自分は誰か全く別の、しかし近しい他人の人生の登場人物として、、「主体」である! と時々思います。