人生の価値。 あるいは、その様相。
昨夜の記事に頂いた kabuoyajiさんからのコメントについて少し考えたので書き残しておく。
コメントを頂いて、いろいろなことを思い出した。
kabuoyajiさん、ありがとうございます。
■kabuoyajiさんへの オレの返事コメント
kabuoyajiさん、こんにちは。
人生の価値は誰かのためになることだけです。
他人のわき役になること、大切なわき役になることだけが主体性の証です。
他人のわき役になること、大切なわき役になることだけが主体性の証です。
誰かのために役に立って…それで、それだけでしか計れなくていいのか?の思いです。
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部下や辞めやがったトンズラ社長を指導していくなかで、一番大切にしていたのは
そう言ったとき 「相手のイメージが満ちるか」 どうかである。
これは非常に難しい。
人それぞれに人生のモチーフとでも言うしかないものがある。
自覚しているかどうかはともかく、明らかにある。
そのモチーフ自体が なにであるか分からない。 本人も意識していない場合がほとんどだ。
しかし、そのモチーフに対してどのように振舞うかは、じっとその人のふるまいを見ていれば分かる。
そう言えばむかし、子供に、 「人の話をまともに聞くな。 その人がやってることを見ろ!」 と教えたなあ。
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たいていの人は何かを恐れている。
そして逃げようとする… あるいは戦おうとする。
逃げのカタチも戦いのカタチもさまざまである。
怠け者の親父のために貧乏したので、とにかく真面目に働き、かつ考え抜くことで惨めだった幼年時代と戦っている人もいる。
対人関係が下手で、上からイジメられて苦労して、それから逃れるためにひたすら職務技術を磨き上に行くやつもいる。
対人関係を磨かずに、対人関係なしに 自分が出来る技術を磨くところが 「戦い」ではなく 「逃げ」である。
もちろん、本人はそれと気づいていない。
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建物本体、つまり自分の人生の意味や価値に悩まなくても、外部階段… 金や地位といった
社会的価値に逃げ込めるのである。
人生の意味や価値、、、の話をすると堂々巡りになってしまう。
単なる自己満足とどう違うんですか? という質問に答えることは出来ない。
なぜというに、「自己」 などオノレの情緒を観察している意識の 「一部分」 にしか過ぎない。 のである。
衣食住が足りて、その先の 「希望」など …この話、ものすごく長くなるからヤメ。 (笑)
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いま思い出したが
感情 情緒 心 意識 気持ち 精神 気質 魂 心情 感覚 自意識 …など
これらを、どう定義して使うべきかよく考えていた。 その言葉が自ずともつフィールドを考えていた。
そういえば最近、もう、 あまり考えない。
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