子孫に美田を残さず。


10年ほど前までは

居酒屋で

西郷隆盛曰く 「子孫に美田を残さず」と

莞爾とチョコを飲み干す爺ィさまがいたものだ。




…美田を残さずって
おまえが稼げなかっただけだろ?

と、バカにしていたが


ちかごろ聞かずて割れ恋にけり   …である

「いなといへど しうる しいなの しい語り このころきかずて われこひにけり」 を踏んでています。
中1でやりましたが、出典は万葉集 、、以外おぼえていません。





恒産なくして恒心なし

門閥を親の敵と憎みぬいた福沢諭吉の目指したものは
学閥で栄える社会の中での、
名誉ある地位である。


社会は豊かであったほうがいいし
一族も恥ずかしくない程度に
豊かに暮らした方がいい




自営百姓の娘だったわが母は
「若いころの苦労は金を払ってでもするべし。」
と言っていたが


父方の婆さん
不縁になった母親との母子家庭で
貧乏暮らしの北緯70度くらいで
小学校も2年しか行かなかった婆さんは

「…いらん苦労はしたらアカン…」
と遠い目をして火鉢の灰をならしていた。





革命家である


本邦一国を炎の中で焼き尽くし
不死鳥のように再生させようとした

手塚治虫 「火の鳥」か!? 
みたいな中年男である。



美田など残すはずがない。



その西郷の決意を

なぜ、高架下の安い酒場で
「子孫にねー、、なんだー美田を、、遺伝を、、うぃー、、残すなですよ!」
「うぃー、、、そうだ!  …そのとーりー、、、、、カンパーイ!!」

と笑えるのか…
若いころ何度も、うんざりしながら横目で見たが




もう、誰も言わなくなると

さびしいなー  (笑)