我らが皇統と王の二つの身体。


西欧の王権論に
国王の 「二つの身体」論というのがあるようで

イングランド史にもチラりと出てくる。


聖と俗、公と私、、に近い概念のようだが
よく分からない。




欧州で女王がいるのはノルマン系の王朝を経由したエリアだけで
フランクの末裔は
サリカ法があるから女王はいません。

フランク系のフランス
マリーアントワネットは評判こそ国王よりも悪いですが
女王じゃなくてただの王妃です。。。

などと読むが、

…じゃあスペインのイザベルはどうなんだとも思う。
フランクじゃないけどノルマンでもないぞ。




しょせんは
相続法というか財産権の話だろう。

イングランドで王室財政と国家予算とが徐々に分離してくるのは
けだしスコットランドのスチュアート以降だろう。
クロムウェルに、銭金のハナシでで首ちょん切られてるしね、チャールズ1世 。。。




ひるがえって本邦では
皇統は男系だけだが
男系の内親王からの女性天皇は否定しない。

これは武家社会の
御家人 (鎌倉にいたハズ)
とも平仄はあっていて

また、江戸時代の 女からの離婚権
「亭主が女房の財産に手を付けた場合だけは、妻からの離婚を認める」
にもつながっている。





女性の財産権は認める
しかし、女系の祭祀権は認めない
…ということで

それが皇統に展開されて
天皇は 「男系のみ」

うーん、正統だ!

これぞ
王の身体の二重性ではないかと思うのだが…
あるべき常のモノとは違うべきで違う
二重性だと思うが、どうだろう。





ヤン・ソギルの小説 「血と骨」  
        (在日朝鮮人一世の壮絶な、、迷惑・怪物・狂気の人生をその息子の冷めた目で描く小説)


でも、

「人はその血を母から、そして、その骨は乳から受け継ぐ」 とあって



身体の二重性というのは

ごくふつうに民族思想の中に
ごーく普通にあるのではないかと思うのだ。


王権に限って
身体性を二つに分ける意味はあるのか?





人間と「動物」との混血児が

民族の始祖…

という神話は

古代ローマにも朝鮮にもあったと思う。



血の重層性、神話・建国の重層性を暗示する神話というのは

部族どうし、の征服したり混血したりの
綺麗には語れない事実の
歴史的粉飾、、、、

じゃなくて
物語的な健全な 「美化」 とも思うのである。



それは

おのずと重層性をおびざるを得ない
それだけのハナシなのではないのか?



中世後半から近世の欧州においては

なまじカソリックの聖的主権と
王の俗世の主権のなかでの
徴税権の按分問題をめぐって

中世の「教皇権」を「主権」 (神と同等の権益) と読み替えて
王権定義が複雑になり
「王の身体性」 などという不可解なところに
話が紛れ込んだだけ、、ではないかと思う。





だいぶ酔ってるというか

べろべろだが



このまま寝ると

絶対忘れるので書き残しておく。

ないよう的には、、検証もしてない、ただの思いつき…




真面目に読んでくださった皆さま

すいません。