能 「羽衣」 スキャンダル。



10年ほど前はよく美術展に行っていた



興味をなくしたのは

モーチーフというか美術史というか
持物(じぶつ)だのなんだの

中世キリスト教史と

それから、近代の都市学が分かってないと
なにがなんだか全然意味が分からないのに

疲れたからである。



で、そういうのとは逆向きの
まあ、インスタでなくても
カンデンスキーあたり抽象になると


アンチ・クリストと個人主義が分からないと

色の洪水を見るだけの
光らないイルミネーション見物と
なにも 変わらないのである。



ということで

本邦の 「書」 文字って美しいよねーと
いくつか観てみたが
読めなければただの のたうつ 「線」 である



で、数年前に 古筆の薄い薄い教本を買って
そのコピーを半年、手帳に挟んでると
なんとなく読めるようになった。

で、読んでみると概ね 百人一首

  … かるた


で、実際に展覧会に行くと 薄暗い中 「葉書サイズ」
くらいの色紙を目を細めて
老眼鏡越しに観るハメに…




そんなこんなで
しばらくすっかり美術関係には
興味をなくしていたのだが

去年、NHKの近代俳句史 (子規・虚子以降) のムックが面白くて
これまた数年ぶりに俳句について調べてみるかなと思っていたところに

たまたま、芭蕉の「おくの細道」の自筆原稿が
岩波文庫で1000円ほどで出ているのを知った。




俳句論の入門書をパラパラ見ていると
芭蕉の 「古池」 の話が非常に多くて

せめて 細道くらいは読んでおこうと思っていたので
喜んで買った。




漢字交じり変体仮名で古筆と江戸かなはかなり違うが
毎日、コピーを手帳にはさんで
神戸線に乗ってる10分間だけ眺めていると、それなりに結構読める


よめると、ただのと ひらがな と少しの漢字だが
やはり読めると、だんだん読めるようになると、すごく嬉しい。


すっごく、うれしいんです! 
ハズかしながらっ!!




そして読んでみて、解説を見ると
わすか1行の文章に複数の古い和歌が暗喩されているのである


芭蕉が訪れた土地はことごとく 「歌枕」であるらしく
奥の細道自体が、歌枕を訪ねて歩くという趣向の旅であったと
はじめて知った。


   …教養がないって

   こういうことなんだよなー



 

俳人紀行で 和歌かよーと  泣いていると


   田一枚植て立去る柳かな

は、西行法師の歌で有名な 謡曲のというか
 「能」の 「遊行柳」 を知らないと意味が取れない…


とあって、さらに泣きつつ能の本を読む。



   (すらすら進んでるように書いてますが、、この間、何カ月も経っております)





で本題だが

200以上も演目があって
到底フォーロー仕切れない 「能」だが
有名どころを ときどき youtubeで眺めている。

10分以上眺めると体に悪い感じだ。



そのなかで

   「羽衣」


三保の松原に天下って水浴中の
天女の脱いだ 「天の羽衣」 を
漁師が奪って 「返してほしければメオトなれ!」 とヤっちゃう話だが


…これ

たまたまの状況で ネーちゃんに無理強いする話で。。。

そうすると、今般の TOKIOのメンバーのスキャンダルも
600年くらいすると
能舞台で演じられてるのだろうか?



薪能 「羽衣」

そのつもりで聞くと、笛は女のこの悲鳴にも聞こえますが、
夕暮れを背景に 非常に!!  美しいです!






  小学生の頃 「日本昔話全集」 で読んだ

 「天の羽衣」 と 

 「クラゲのお使い」(クラゲが猿の肝をもらいに行って失敗する話)

 
  … は不道徳の極みだと   思いました。



  「桃太郎」 は分かったな。

  そういうカンチガイな大人…
   というかオバちゃんは
   
    どこにでもいたからね。