財政問題「最終」稿

週末は三州屋さんとkabuoyajiさんからの投稿を頂き
なんとコメントが日計30個というブログ開設以来の記録となった。
 
重ねて三州屋さんkabuoyajiさんありがとうございます。
 
さて、
国民経済の根本はISバランスを国家がどう調整して成長経済を維持するか?
これだけである。
 
政策的には希少な「S」を振り向ける「I」の中身を計画し
クラウディングアウトを起こさず社会資本を形成するということである。
社会資本の充実は確かな経済成長を担保すると信じられていた。
 
それ以外の問題は全て枝葉末節に過ぎないのであるが
政府支出が社会資本の形成を通じて雇用政策化することは避けがたい。
 
それはISがどうのこうのを離れてしまい、
政府支出にぶら下がる産業人は制度化・身分化された。
 
また資本主義の常としてセイ法則の剥落で投資は資本の回収を約束しなくなる。
膨大な無駄の出現である。市場調整で破棄される農産物、在庫投資と美称される滞貨の山。
 
需給のアンバランスは常態化し莫大な政府支出による補助を求める。
3本の瀬戸内海縦断橋…道内を縦横にはしる道路群。
莫大な無駄と言わざるを得ないが、需給構造のアンバランスを
政府が埋めたのである。何のために?国民の収入のために!である。
 
政府が無駄遣いしてそのお金を国民が賃金として貰ったのである。
 
金保険その他社会福祉
これらはすべて豊かな国家、豊かな社会の政策的現われ、
ある種のシューケース的福祉陳列である。
 
その濫觴は19世紀のイギリスの福祉政策である。
近代戦争を戦うために給与生活者・職業人を動員しようとすると
生活保証が必要になってしまったのだ。
 
年金は破綻し生保は栄える。
これは平均寿命の長期化では避けられない事態である。
たしか100年前にも英国で年金は破綻し保険は栄えたはずである。
シューケースで並べた美辞麗句が実体化したのだ。
年金と生命保険の両方ともを維持出来るわけがない。
 
もともと国民国家が目指したのは経済成長である。
そのモチーフは本邦100年前の富国強兵である。
 
誤解を恐れずに言えば「国民」も「国家」も経済成長のために新設された概念である。
 
19世紀は植民地の時代である。
20世紀は戦争の時代である。
 
19世紀、各国が植民地を欲したのは儲かるからである。
儲かるとは財貨があふれる暮らしをすることで、
端的にはアラビアの王様のような宮殿に住んで贅沢をすることである。
 
アジアには欧州にない財物があふれていたので
武力で植民地化して自国の経済圏に編入して儲けたのである。
 
20世紀になると儲かる植民地の臨界に到達したので列強間で再分配した。
いわゆるフルーツバスケットでその、手段が戦争である。
 
ココロから大儲けしたがった国はイギリスだけのような気もするが
近隣で儲け競争が始まると各国はそれに習わなければしょうがない。
1000年も大小戦争をくりかえしてきた欧州において戦争は固有の文化である(笑)
 
経済成長も形を変えた戦争の一形態で、「キリスト教の倫理と資本主義の精神」で
マクス・ウェーバが奇異の目を持って資本主義的情熱を述べている。
「わがドイツにはない、この資本主義という情熱とはなんだ!」
というのがこの本のモチーフである。
 
つまりウェーバの「戦争的熱狂をもった資本成長への疑義」である。
日経新聞他では、ウェーバとアダムスミスは誤用することが常なので誤解されているが(笑)
 
このように19世紀にハッキリとその姿を現した、成長をビルドインされた国民経済。
その最終期間に差し掛かっているのが今日の世界経済である。
 
S < I  が成立しない経済である。
 
その認識のもとにおいて
kabuoyajiさんがおっしゃるユニクロ的デフレには賛成しないのである。
 
それはつまり、供給曲線の下方シフトが需要曲線の下方シフトを誘発することだが、
それは今に始まったことではなく、高度成長期においてあらゆる供給曲線は下方シフトした。
 
いいかえれば、供給曲線が下方シフトするからこそ成長するのであり、
生活の高度化贅沢化があらたな需要を生み、あらゆる日用品は劣等財化した。
明るい言い方をすれば工業化で国民経済はテイクオフしたのである。
 
こんにちは、そのあらたな需要が発生しない時代なのである。
需要・供給曲線のシフトでは語れない経済。
それはすなわち国民経済の終焉であると私は考える。
いや、私が考えるのではなく、経済学の前提から自明である。
 
この自明の理をどうするのか?
ケインズと同時期にシュムペーターが創造的破壊だ!と喝破して
「わかっとるけど、そんなアホなことはデケへんやろ!」と政界から無視された。
政策化できるわけもない「破壊」など無用だからである。
 
物理的「破壊」である「戦争」は既存産業の成長を助長する。
戦争が終わってから政策的にその既存産業をどう破壊するのだ?って話だ。
 
ながくなったがこの財物があふれる社会の夢が終わった後で
国家財政を云々…というのが今回の話題である。
 
かような認識において
 
三州屋さんから頂いたコメントで面白かったものを採録する。
さっき、転載の許可を確認しました。
三州屋さんありがとうございます。
 
「銀行や日銀が歯止めなく・・・自国の国債を買う・・・
こんなことに疑問を呈する人間がいない。恐ろしい国に住んでると思う。」
 
「日本の停滞振りは酷いものです。 非正規雇用は全労働者の1/3
になってます。 ソブリン債としての日本国債の格付けはご存知ですよねー。
 一度 ご確認下さい。 ボツワナ波と言われて凍死不適格じゃないかなー?」
 
「皆さんの楽観が丸で理解出来ません。
バブル崩壊後の20年・・・日本の低金利はなんでせすか?
ズッとデフレ・・・なんですか?
これがまともな世の中ですか?
今 日本の大手証券の一線の管理職連中は・・・日本の1970~
1980年代を知りません。 株は欧米のやりたい放題で下げが当り前
下げしか知らないから弱きばっかと言った人がいましたが・・・
なんか寂しいですねー。 今の日本に危機感がないのは。
豊かな国ですか? 同意出来ませんねー。」
 
「日本の国債中央銀行である日銀が買ってます。
これならなんぼでも国債消化出来るでしょう・・・?
この場合 ハイパーインフレになる可能性があります。」
 
「少し 頭の良い連中は預金は円で日本の銀行に預けませんよ。
外貨で外国銀行に預けます。 外貨預金です。
国家の個人財産収奪へ備える必要があります。
日本は破産しないと言うのは国民を騙すプロパガンダ
大体 IMFの言うことといいかげんな連中の言うことのどちらが信用出来ると言うのです。
 IMF・・・ってなんかご存知ですよね 」
 
「最近 こうことを言う意見があって皆さんはこれの受け売りですね。
こりゃーおかしいですよ。
日本の常識は世界の非常識・・・無能な国民がせっせと貯金し政府が
それを全部使ってまったってことです。
外国の金持ちは金は自分の国ばかりには置いてません。
スイスとか外貨で持つとか・・・。
まー考え方が違うので議論は無意味ですね。
でも年金の受取り額とか生涯年収とか若くなれば成るほど惨めになっているその現実は判ってますか?
何故 政府の財政運営に批判的 な目をもたないのでしょうか?」
 
 
この最後の
「みなさんこれの受け売りですね。」
で、やっと三州屋さんのお怒りの元が理解できました。
せっかくのコメントに失礼な返答ですいませんでした。
 
上記の
 
「こんなことに疑問を呈する人間がいない。恐ろしい国に住んでると思う。」
 
ソブリン債としての日本国債の格付けはご存知ですよねー。」
 
「少し 頭の良い連中は預金は円で日本の銀行に預けませんよ。
外貨で外国銀行に預けます。 外貨預金です。」
「日本の常識は世界の非常識・・・無能な国民がせっせと貯金し政府が
それを全部使ってまったってことです。」
 
 
などの紋切型から明らかなように
三州屋さんは初めから悲憤慷慨の受け売り合戦「まったくもってけしからん!」
がしたかったのに気付かず、私はまともな受け答えをお返ししてしまいました。
 
 
IMF・・・ってなんかご存知ですよね 」
「若くなれば成るほど惨めになっているその現実は判ってますか?」
「皆さん株をやったり 相場に見識があるようですが・・・良く理解出来ない方達だと思います。」
 
 
など、お書きになっているのが、なぜ「具体的な需給ギャップと財政機序」についてではなく
上からの態度で「君らわかってんのー?」なのか、わかりませんでしたが、
この最後の
 
「みなさんこれの受け売りですね。」
 
で疑問は氷解、納得いたしましたした。
 
ウケ売り悲憤慷慨合戦とは気付かず
失礼な書き方になりましたことを三州屋さんにはお詫びいたします。
もうしわけありませんでした。
 
また、
上記、具体的な需給ギャップと財政「機序」と書きました。
「システム」とあえて工学的に言わず、医学・生物学用語の「機序」を使い
その仮説・実験性=再現性に疑義を差しはさんでいるあたりに
高校生程度はあると自負している私の「教養」を感じて頂ければ幸甚です。
えっへん(笑)