死ぬこと。

何年か前、末の娘が、学校でキツい一発をくらってへこんでいた。
 
仲良し5人組で修学旅行の班を組んで学級会で発表登録のとき
班の代表者が黒板に自分たちの班のメンバーの名前を書いていき
最後の5人目に娘の名前ではなく、全然聞いていなかった同級生の名を書いて、
前触れなしに娘だけメンバーからハズされるという、10代だったらキツイ一撃である。
 
かなりコタえただろうなあ、とは思っていた。
 
私の前ではそんなそぶりも見せなかったが
ある日、姉どもと共に出かけて賑やかな商店街を歩いている時、なにげない様子で
「私が死んだら、私はいい子だったって言ってね」といきなり2回言った。
 
なるほどねと思ったので、
 
私「死んだらおわり、いい子も悪い子もないから。」
娘「…いい子だったって言ってほしいの」
 
私「お前が死んだらこの世の中は終わるから死んだらダメ。」
   「死ねば全て終わり。人は殺してもいいけど、自分は死んだらダメ。」
娘「(驚いて)殺していいの?」
 
私「他人にはお前が与えた以上の意味はない。お前以外の命は全く無価値。」
   「第一お前が殺さなくったって100年たったらみんな死んで、もういないよ(笑)」
   「自分以外は虫となにも変わらないから、お前が意味を与えてやりなさい。」
娘「殺していいの?」
 
私「かまわん。殺人の報いはあるけど、未成年だから大したことない。」
   「殺して悪かったと思ったら、少しぴーっと泣いてみたらどうだろう?」
   「ただ、お父さんは忙しいので、お前が阿呆を殺した云々に巻き込まないでくれ給え。」
   「お前はお前なんだから、お前以外に、この世に価値のあるモノがあるわけはない。」
娘「へーそうなの?…わかった。」
 
以後「死ぬかも」という話は聞いていない。
友達も殺さなかった模様である。
 
友達ごときにこころが揺れるのも10代ならではである。
泣いたり笑ったり、できるうちにしておけばいいとおもう。
 
死ぬことなど考えなくても、そのうち死ぬ。
死ぬ時に、くだらなかったな(笑)と笑えれば十分である。
くすくす笑っているうちに意識がなくなればいいのである。