山本夏彦「最後の波の音」から「やきもち」抄
みにつまされる話である。
■「やきもち」
中村は内田百閒の読者というより崇拝者で昭和一二年一度推参してお目にかかっているがロクに口もきけずに帰って三年間ただの読者でいた。
二度目は昭和一七年ですでに物資がことに酒が手にはいりにくくなっていた頃である。
それをもっけの幸いに中村は毎日のように内田家に御用聞きにうかがっては酒はもとよりその日の肴、しまいには味噌醤油まで奔走して持参している。
百閒から武志あてのハガキが五十五枚残っているがすべてこれすべて物資の調達を頼んだもので文学上の教えを書いたものなど一通もない。
中村はひたすら犬馬の労をとっている。
ここで驚くべきことはあまりに犬馬の労を取ると、とられる方は、ついにあいてを犬馬だと思うようになるということである。
百閒は中村を弟子だなどと思っていない。その中村が処女作といおうか最初の自費出版の本に序文を請うたことがある。
むろん百閒は中村が自分と同じく文章を弄するものとして現れたことにはじめ驚き、次いで身の程知らずだとにがにがしく思ったのだろう、固辞して承諾しなかった。
中村は何としてでも序文をもらおうと必死である。この世は義理と人情からなるところで、ついに断りかねて何度か筆を投じて書いたのがついぞ見ない序文である。
序文は祝儀だから誰でもほめてあると疑ってもみないが、よく見ると悪口である。
(中略)
中村は百閒が死ぬまで犬馬の労をとったが、あまりにとったので犬馬だと思われてしまったようである。
(後略)
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下手に頭を下げてしまったがばかりに、あたまを踏み上がられて、さらに背中で跳ねられることなどよくあるコトである。