『知的幸福の技術』 橘 玲

橘 玲 「知的幸福の技術」

大学の図書館で手に取った難解な哲学書ほとんど理解不能だったが「人は常に他者の承認を求めて生きている」という言葉はなぜか覚えている。



蔵書を掘り返して、橘玲の本が掘り出されたので抄録を…と思ったがケータイからだとしんどい。。。
パソコンから、書き直します。




■  失礼しました。再度。

『知的幸福の技術』   橘 玲  より抄録      2頁の文章をかいつまんで…


大学の図書館で手に取った難解な哲学書、ほとんど理解不能だったが「人は常に他者の承認を求めて生きている」という言葉はなぜか覚えている。

それから10年経って暖炉にくべるように一万円札をばらまいていたバブル地上げ師から
「ダニやウジ虫以下の人間になればカネしかないと分かるさ」と聞いた。
カネで買えるものはナンでも持っていたが他人の承認だけは得られない彼は、幸せそうに見えなかった。

風俗や高利貸しは濡れ手に粟だと批判する人がいるが、そのように参入障壁が低く利益率の高い商売が儲かるわけがない。
儲かっているのはそれが他人の承認を得られない汚れ仕事だからで、底なしの欲望がそこにあるのに供給者がいないから超過利潤が生まれているのである。

人が欲しているのは他者の承認であって金ではない。
それは、他者の承認は、自分の価値観を他者と同じにすれば簡単に得られる。
ブランドバッグを持つのも同じ。

つまり、あなたの欲望は他人の欲望であり、その幸せも同じく他人の幸せのトレースである。
では、あなたはいったい、どこにいるのか?

豊かな社会では「自分探し」が流行するが、探すべき自分は存在しない。


人は誰からも承認されない人生に堪えられない。
一方で、他人の欲望を生きる人生も耐え難い。

大衆の欲望は永遠で渇きは満たされない。


かくして幸福のカタチは見失われる。



ということで、十年以上前の橘玲氏の文章だが、色あせていない。
なぜというに、幸福は…と語ること自体が詭弁というかネタであって、(笑) 
語られているのはわれわれの世代の代表的思考法である。
こういう考え方を構造主義という。

構造主義は半世紀前にサルトルを葬り去った思想で、我々は構造主義全盛時代にそれと知らず育った。
サルトルの原著は1頁で挫折したが解説書は若い頃いくつか読んだ、、、と思う。 但し、概論。 (笑)
が、、「実存」の意味はついに分からなかった。そういう考え方自体がリアリティを失っていたのである。

20年前にはコミュニティづくりの学者たちは市主催のシンポジウムにやってきて「関係性」を連発していた。
構造主義を経て、なんでも構造化することが出来るわけではないのに気付いたので、「関係」で誤魔化していたのだと…素人目にも分かって、気の毒だった。しゃべっている本人がそれに気づいたことに気づいてないのが気の毒に輪をかけて、さらに「しんにゅう」と「門構え」を加えていた。


幸福論など、衣食足りまくって幸せを見失ったことの周辺を巡るダケの話である。

今週は久しぶりに昼飯を自炊しようと、豚とキャベツの炒め物を会社の給湯場で半玉のキャベツが尽きるまで4回作っただけで飽き飽きした。
ただのバチあたりである。(笑)


…これはマーケティングの話として書いている。   おれの相場も多分同じ。