人生の価値  おんな篇

昨日かいたkabuoyajiさんへの返事記事
http://blogs.yahoo.co.jp/mrmsj219/34062277.html  で、

■kabuoyajiさんへの オレの返事コメント

kabuoyajiさん、こんにちは。

 人生の価値は誰かのためになることだけです。
 他人のわき役になること、大切なわき役になることだけが主体性の証です。

 誰かのために役に立って…それで、それだけでしか計れなくていいのか?の思いです。
マズローの最終段階の自己実現の自己の中身は実はからっぽ。(笑)

 

と転写したあと、


   人生の意味や価値、、、の話をすると堂々巡りになってしまう。
    単なる自己満足とどう違うんですか? という質問に答えることは出来ない。

    なぜというに、「自己」 などオノレの情緒を観察している意識の 「一部分」 にしか過ぎない。 のである。


など、いろいろ書いたが、、、すべてこれ オトコの場合である。



男が自分のパフォーマンスで人の役に立てて初めて自分を認められるのと違い
女の場合は 「その存在自体」 が価値である、ということを感じたいらしい。

能力うんぬんを褒められてももちろん女性の皆様はお喜びになるが、、、
誉められたいポイントの第一は

「かけがえのない貴女は素晴らしい!」  というその存在自体である。

端的には 「綺麗」 「魅力的」 「素敵だ!」 などで、
「そろばん1級!すごいですねー」  よりも
「綺麗だ、かわいい!」 の方に価値をお感じになるようである。


「わたしがいて、嬉しい?」 「私のコト好き?」
など、、まあ男なら言わないことを女の子は言うのだなあーと、若い頃は思った。

努力して獲得したものよりも、天性、ありのままの存在を褒められたい、、らしい。



男も子供の頃は「天才」とか天与のモノが大好きだが、やがて社会性を持てば、
努力や取り組みの結果として得たものを大切にするようになる。
男は努力して誠実を尽くしてはじめて「男」だが、女はそうではない。

男は仕事 女は身入り!  である。

女に尽くせるかどうかが男の値打ちで
男に尽くさせることが出来るかどうかが女の値打ちといっていいだろう。


男尊女卑は、このどうしようもない強烈な価値のベクトルに対する、ささやかなブレーキである。

昔はテレビの時代劇などで、酒に酔って女房の横ツラを張り飛ばした男が
床に倒れて、肩を震わせ声を忍ばせて泣くそのか細い背中に恐れをなして
雨の夜に飛び出していく、、なんていう場面がよくあった。

ま、勝てないと、、言うことです。(笑)