喧嘩・考

いつものBARで、ときどきケンカの話になる。 

比喩としての 「ケンカ」 ではない。 文字どおりの 「ケンカ」 、、殴り合いの話である。


オレは喧嘩が怖かった。 

殴り合わねばならないシチュエーションは二十歳ごろまであったが、、
「ヤッてもうたる!!」 的なてっぺんキレてる喧嘩は小学3年生が最後じゃないかな。


だって、ケンカして怪我して帰って母親になんて説明するの?

嫁として、そして一家の長男 「跡とり息子」(オレのこと) の母親として婚家での礎を築くつもりのオカンは
「大事なマゴ」 の怪我を 爺さん婆さんになんて説明するの、、、なんて説明できるの ? 
怪我をした時点で、母親の顔に泥をぬったのと同じである。

このエゲつない嫁ぎ先の家で、やっと、やっと初孫の母親としての地位を得たのに!お前のケンカで私の顔は丸つぶれや! 血と汗と涙で体重が倍になったケナゲな女の人生を、この辛かった幾年をどうしてくれる!!
…という愛する母のココロの声が聞こえないような奴は…すでにムスコではない。 (笑)

…喧嘩というかオカンは怖い。 (笑)



しかし、不思議なことにケンカが怖くない人もいるのである。 いい親に恵まれたのである。 多分。


BARのマスターは40歳前なので いわゆる 「喧嘩上等」 の第二世代である。
このマスターも一家で家族全員、家の文化として喧嘩が得意なカナわん系の人間で、、よく普通の暮らしに帰ってこれたなと思うが、いつもお教えを乞う「BARの先生」よりはまし、というか普通である。

マスターは、中学時代の喧嘩トーナメント (笑) で、負けた小学校時代からのウルトラ番長に通算4回挑んで全て負けたおかげで 「かかわってはいけない狂犬」 として一定の地位を築いたようである。 


一方、いつもイロイロお教えを乞う 「BARの先生」 は貧乏家庭に生まれて里親をたらい回しにされながら多感な時期を尼崎で育った団塊の世代である。
一世代上の 「アプレ」 と同じくモロ暴力の世代である。 とにかく野蛮である。


商社時代のアメリカで買い付けに行っていきなり散弾銃で撃たれてムカついたので、走って行って撃ちやがったジジイから銃を取り上げ 「何をするんだ!やめろー!!」 と怒鳴りつけた話もスゴイが、、というかショットガンで撃たれて「ムカつく」 …というメンタリティが理解しがたいが、、、やはりスゲーなと思うのは学生時代の話だ。


不良グループにつけ狙われ、襲われるたびに一人で全部返り討ちにすると 「喧嘩・ゴルゴ」 みたいな刺客を差し向けられたそうだ。。。   

団塊高校生、、侮りがたいなー (笑)
それはともかく、先生はついに叩きのめされ、地べたに這わされてからがスゴい。


地べたに倒れてゼーゼーいいながら、自分を見下ろす勝者・ゴルゴを
「お前、どうしてオレを狙うんだ!」 と叱りつけた。 

ゴルゴの応えて 「…たのまれたから。」   、、ま、ゴルゴといっても十代だからね。 (笑)
「貴様、頼まれたら何でもするのか! バカか、お前っ、 バカ者!!」

「…!」
「情けないヤツだ!そんなコトでどうする! 今日からオレが教えてやる! 子分にしてやるからついて来い!」

…で、その日からゴルゴを子分にして、友達になて、善導してやったそうである。



どういう自己イメージで生きていけばそういう世界観を抱けるのか、、不思議だが、、
そういう人もいるのだなあー と、思う、


深夜、酒場で聞く話はさまざまなコトを考えさせる。


人間なんかみんな同じである。   しかし取り組みというか、やっていることは
…よって立つところは千差万別である。 

みんな、今いるところから幸せになろうと もがいている。



それぞれの人生と、守るべき その人生の 「一分」 を想う。   みんな、がんばれ!  と思う。