生きている感じ



     目 > 耳 > 鼻 > 肌・舌


  その

     近いところ



        匂いと   触と    味


                              これが人生









          触ることは媒体ではできない



      リアルに  触れ    ざるを得ない







     敏感な知覚  

           視覚は100キロさき  聴覚は100メートル先でもわかるが





            服を脱いで抱きしめなければ

    その幸せの

                      その 肌ざわりはわからない。
 





       粗雑ななコピーで楽しめるのが 美術と音楽である。

            目の喜び  耳の楽しみ

            両方とも 無料で満たされるのが     youtube






                  とくにリズム


            品質によらず  こころの 深いところに届く   安直なコピー

              あまりに危険なので

                たしか  カトリックでは禁止されている。









                  視覚と聴覚で誘い込んで

                      肌と舌を殺せば


                   大切な人は 貴君の奴隷である









                    それでも 奴隷にならなければ

                       そんな人に 出会えれば




                      その人は

                   あなたの人生の意味を

                       その価値を

                        示唆して

                    くれる人かも しれない    
               



              誰かのために   死ねれば    それは


                    成功者の  人生



                
                  自分以外の  誰かを幸せに できる

                     これ以外に 自分の幸せはない



                        幸せの 外部性





                         
                          これを

                         否定することは  できない


                命を捧げるほどの人に出会えた幸せを  否定することはできない

                           のである。




                       そこに         主体性はない





                   人生とは かくも尊く   …

                            安い  ものである

                     嘆かず  工夫する のみである