永田耕衣。 「おかあさん」の事など。


懇意にしている業者の動きが悪いなーと思っていた。


ウチの支配人曰く、
90歳の伯母さんが緊急入院して、退院後に施設に入れずに、、   引き取ったのだそうだ。。。。

おまえ、50歳も超えてアホか?


親戚の同い年位のババアと協議の上、、だそうだが、90歳を自宅で介護できるわけないだろ!!




戦後、俳句の第二芸術論 (俳句に対する悪口)のあと
社会派俳句や、前衛俳句、軽チャー俳句などと一線を画した俳人に 永田耕衣がいる。


城山三郎が「部長の大晩年」で取り上げて作品化しているが
三菱製紙加古川部長で、大出世して、俳壇でも大をなした方である。
確か「書」でも有名だったと思うが、


代表作が


夢の世に葱をつくりて寂しさよ


少年や六十年後の春の如し




「少年や」 は好きだが、おおむね  屁・森田澄雄 より下らねーとしかいいようがない。

しかし、ひとつ恐るべき句がある




         朝顔や百(もも)たび訪はば母死なむ



そう、オカンは死なんよ!と読み飛ばしていたが

昭和を代表するヘンタイ歌人塚本邦雄の著書   「百句燦燦」   (講談社文藝文庫)
鑑賞文を読んで、驚嘆した。


…ああ、永田耕衣、、分かってるんだ。




   朝顔や百たび訪はば母死なむ        永田耕衣    『鹿鳴集』

前略) 私なら「百たび訪ひて母殺さむ」と言い捨てるだろうなどと、この句の前で斜に構へて嘯いたことがある。

    はるかな昔俳諧の何たるかも知らず

             -中略-

    稚氣卽癡氣、淺薄な思ひ上がりであった。


殺して死ぬははなら何も百度足を運ぶ要はさらさらない。
辞るまでもなく耕衣における母はうつし身にして幻、

作者に憑依する「母性」の謂いであった。




塚本の文章は全部旧字体である。  ジジイ、お前、イジわるいだろ、、、




お母さんは死なないんだよね。

で、一族の女も死なないんだよね。



女房の実家が、一時、眷属の私設養老陰と化していた話は以前書いた気もする。

やって来るのは全員「お婆さん」   で あったらしい。とうぜんだわなー(笑)




週末、母のいるグループホームに行ってこようと思う。

行けば、オレは母からフルネームで呼ばれる。


ムスコの母としての自分と、
ハタチの頃、小学校に奉職していた時代の 「自分」との

区別があいまいになっているようである。


… 自覚的に あいまいになってている   気もする。



ホームのスタッフがオカンのことを名前ではなく
ムスメ時代の職場での呼称「先生」で呼ぶようになって
ボケたまま一気にシッカリしてきた。


スタッフのババアにとっては入所している客に過ぎんだろうが、
オレにとっては「母」である。

勝手に元気づけるな!

オレより長生きしたら お前らが責任とるのかっ!!



んー

気が重いが、呪いのホームに明日行かんと欲す。


母親は死なない。
何十年も何十年も、同じことを言いながら息子からすべてを回収しようと試みるのである。

母親は死なない、何百年も死なない。
永遠に自分の生んだ自分の愛したものの命を削りに来るのである。


ほんとうに  うれしそうに  やさしい  美しい顔で   鮮血の赤いしぶきを見るまでやめない。


おんな  だってコトですよねー

             呪いの別名  おんな  




オレの娘も、    どこか遠いところで  それをやるんだろうなー   


     …  じゃなくて   どこか遠いところで やってください。  お父さんに見えないところで。    (笑)