昔ばなし①

昔といってもそう古い時代ではない、昭和40年代に祖父母、父母から聞いたことを残しておこうと思う。


祖父は明治34年生まれ。1901年。日露戦争の3-4年前になるのかな、、に大阪で生まれている。
昭和天皇と同年生まれで、西暦と数え年が同じであることが自慢だった。ナニが自慢なんだか。(笑)

そしてその頃の生まれにしては珍しく幼稚園に行ったことも自慢であった。
が、今の大阪市内でそれなりの商家のでは子供を幼稚園にやるのはけっこう普通だと聞いたこともある。
まあ、自慢できることは自慢する人だったというか、、明治男が言ってることは話半分である。

祖父の日露戦争の話は臨場感たっぷりで「鉄兜の端に弾が当たってそのまま突き抜けて鉄兜の中を半分回ったもんやから、くるっと筋が出来て頭の皮がめくれて禿になってなー」などと言うので幼児だった私は長らく祖父が日露戦争に行ったものだと思っていた。ふつう数え四五歳で戦争には行かない。国内じゃなくて大陸だしね。(笑)


貧乏暮らしで大人になった父は自分の経験しか語らなかったし、それもごくわずかで、二度同じ話をすることはほとんどなかった。子供に話して聞かせるほどのいい思い出がなかったのだろう。

二三度きいたのは「饅頭もろて、うれしいてなあ。まわりの皮からちょっとづつ食べてさあいよいよ餡子やというときに地べたに落として、、悔しいて悔しいて、、野良犬に食われたら悔しいから足で踏んで」…
「金持ちの子が持ってる自転車に乗せてほしいて、一生懸命べんちゃらして」…
など、悲しい話ばかりだが、爺さんは実体験より人から聞いた話を観てきたように話すのが得意だったようだ。

明治男・爺さんと大正末の生まれの父との人生観と言うか観ている世界の違いを想う。


こんな感じで、毎日すこしづつ書いていこう。


家族名言録も書いておこう。


爺さんについての母親の思い出

「お爺さんは、電車に乗ったら友達が出来て、船に乗ったら彼女が出来るて言われててなー(笑)」

ふーん、あのガマ親分としか言いようのない人がモテるんだなあーと子供心に思いました。