昔ばなし ④ 母親の実家。

オヤジの実家の話を三回書いたが、、なんとなく暗い気持ちになってきたので、農家だった母親の実家の話。。

母親の実家は東神戸の農家である。

母親の女学校時代、友達との帰り道にむこうから天秤棒を担いだ父親(私の爺さん)と出くわして
カッコ悪くて「ただいま」と挨拶しなかったら帰ってからひどく叱られた。
うまいこと拍子をとって腰で天秤棒を担ぐねん。両方に肥桶ぶらさげてなー、、という話を何度か聞いた。

つまり友達との帰路、糞尿をたっぷんたっぷんゆすりながら腰で拍子をとりつつやってくる父親と出会って困ったという話であるが、、コンピを入れるなら水田ではない、、ナンの畑かなと思っていたら、オジサン(母の兄)の葬式の時、近所のお転婆だったおジュっさん(尼さんのこと)が、「神戸のホテルに洋野菜をオロしてた。」と教えてくれた。


母親によると、爺さんは先見の明があっていろんな事業を考えたとのことだが、、具体的には

同じ苗字の一族の中で一番田畑の少ない家で、「見返してやる!」と一生懸命稼いで、稼いだ分は一番利率のいい銀行に預けたら、昭和恐慌で全部なくなって、銀行はあてにならんと言って軒下に札束を詰め込んだ甕を埋めたら雨だれにあたって埋めたお札に全部カビがはえて、これからは借家や!といって川沿いの土地に借家を建てたら昭和13年の大水で全部流れて、やっぱり大事なのは子供や!と子供に教育をつけたら(母の)お姉ちゃんは結核で死んで、お兄ちゃんも同じ結核で片肺を取って…云々と

母親の話は最後は「私が一番親孝行。なぜというに世界で一番こころがきれいだから。」であったが、、
本当に父親のことを尊敬していたのだろうか。。それ以前に好きだったのだろうか?
次女がいかに容赦のないものかは母から学んだ。

次女というのはどうも 「私だけ損しているような気がする!!」 という劣情に焼かれながら生きるものらしい。
私はお姉ちゃんのおさがりばっかりやのに8つ下の妹は新しい服、、、的なことらしい。
そりゃまあ、8歳違えばねー
そういえば、空襲警報と同時に防空壕に走った妹が戦争経験をしたというのを許さなかったなー
人前では言わないけど、法事の後で息子のオレは聞かされました。 何度も。(笑)

…うーん、母親の話は少しましかと思ったが、、羨ましくない人生かもしれない。


小学生の頃、母の実家へ行くと鴨居の上に 「槍」 が水平に掛けてあった。
穂先は鞘に収まっていたが30センチ以上あった。

賊が来たとなれば、村中から槍を持った男衆が外に飛び出してくるのが 「村」 なんだなー
農家とかお百姓さんといえば穏やかな人みたいなイメージだが
明智光秀を狩った土民の末裔であるのである。
基本的にエゲつない方々である。