昔ばなし  ⑥  お金のこと 時代性

お金のコトを書こうと思うと、その人が生きた時代を想わざるを得ない。

同時代の人であった爺さんと婆さんの金銭観がそれぞれ
「金のないのは首のないとの一緒」
「金は天下の回りもの」         と全く正反対なのは同じ金銭観の表裏だろう。

金は天下の回りモノだとのんきに構えている亭主を持てば、そりゃ首がないのと一緒になるよね。 (笑)


爺さんは1901年生まれ。 第1次大戦の好景気下で商人の次男として十代を過ごした。
趣味はケンカの仲裁、電車に乗ったら友達が出来て船に乗ったら女が出来るというほど社交的な人だからさぞかし楽しかったろう。また、米俵は二俵担いだと自慢していたから職場でも楽しく過ごしたろう。

日露戦争に勝ってから満州事変あたりまで本邦はイケイケの異様な時代だった印象である。
民芸作家、バーナード・リーチから濱田河井芹沢、等々みんな1890年から1900年頃の生まれで、ウチの爺さんより10歳ほど年長。それ以前にも以降にも 作家はいるがムーブメントになっていないのにも世代を感じる。


山本夏彦が、戦前の商店街の小さい商売などまるで儲かっていない、かつての遺産とも言うべき家作の家賃でしのいでいるだけだと書いていたのも思い出す。
商店街史によると、地方上京者を回収していた都市部の徒弟制度が、メーカーの勃興により社員としての職人に吸収され、あぶれた上京者を回収したのが、新興商店街の丁稚だったらしい。
サザエさんの「ちわー、三河屋です!」の兄ちゃんなどはその末裔である。

あれ、ないを書きたいのか? (笑)

小銭が渦巻く都市社会が誕生したのが明治末年から昭和10年ころまでの30年間ではないかと思うのである。
爺さんやオヤジの金銭観は、そのイケイケ都市化時代の最初と最後を観た人間の違いのようにも思う。
稲垣足穂もたしか1901年生まれで、「一千一秒物語」は1919-22年頃のものをまとめたはずだ。
雑誌 「新青年」 もつまりは 「都市青年」 のことではないかと思っている。


オヤジの金銭観はよく分からない。 捨て金をいとわなかったが、無駄と浪費は大嫌い、、だった。
小遣いを貯金していると「小遣いは使え。」とたしなめられた。

同時に「始末(倹約)して使え。」 とも言われたし、 「支払期日は一日たりとも違えるな。」あるいは
「見積もりは叩け、無駄金を払うことはない。そのとおり出してきた請求は一円たりとも値切るな。」
「相見積もりを取れ、よそより高いのはなぜか訊け。」 「きちんと稼げ、頬ばるな。きれいに払え。」 
とも言っていた。

そういえばオヤジは、桂米朝と同じような言葉を使った。 ふるい船場言葉である。
丁稚時代に覚えたのだろうか。 あるいは、在阪の商人はそういうふうにしゃべったのだろうか。
若い頃の大人はみな同じような言葉でしゃべっていた気もする。


まとまらないまま、この項つづきます。