喧嘩考…

我が家は喧嘩禁止だった。

爺さんはイケイケどんどんだったが、実際は喧嘩をするより、掛け合いでなんでもまとめる人だった。
自分の息子には負けてきたら三倍返しせんかい!これ持ってもう一回やってこい!と竹ぼうきを渡していたそうだ。婆さんは、、喧嘩はというか…儲けにならないことはしなかった。(笑)


大正モダニズムの洗礼を受け、かつ軍国少女だった母親は平和主義だった。
言葉と真心と、、裏技で、誰によらず、人の後ろに回って相手の背中のネジを外すような付き合い方をしていた。
毎日やられてるので、子供ながら、コトワザの「真綿で首を絞める」という意味が聞くなりすぐわかった。

親父からは
「お前、大事に育ててもろうて、しょうもない意地で喧嘩して一生障害が残る体になって、、、そんな親不幸なことがあるか? 喧嘩してその結果に対してどない責任を取るつもりやねん?」
と言われて、、、黙るしかなかった。


今でも暴力沙汰は怖い。
親に説明する必要もないのだが、、、
それでも、体が傷ついたときに、どう責任の説明をするのか、、、という気がするのである。

身体髪膚之を父母に受く 敢えて毀傷せざるは孝の始めなり (うろ覚え) という言葉が耳に蘇る。

2歳ころかな、、両親と出かけて、初めて転んで膝をすりむいて血が出たとき
帰宅後父母は爺さんから 「お前ら、夫婦でついていて、大事な孫に怪我させるとはどういう事や!」
と叱られたそうである。


…かつては、自分の体も自分のものではなく、、関係者全体の調和の中にあったのである。
いまも、自分の人生が、関係各位の利益配分のなかにノミあるような気もする。 (笑)